2001年10月 NYへ出発
この年の9月、NYではテロの事件が起き、その影響でビザの取得が大幅に遅れました。多くの知人が「まさかテロで危険なNYに家族を連れてまでは行かないだろう」と思っている中、25歳の私は、両親、親戚、地元の友人20名に見送られ、期待と不安の中、東京を出発しました。
まだ歩く事も話す事も出来ない1歳の息子と、子育て真っ最中の妻と一緒の旅の始まりです。アメリカではタンソ菌が騒がれ、飛行機が爆撃される恐れも充分に考えられました.常に危険と隣り合わせでしたが、既に仕事も辞めており、今更引き返せない状況でした。
「飛行機さえ無事に着陸できれば、何とかなるだろう」と、自分を励まし、そんな見知らぬ地で仕事を見つけ、家族を養っていくという重大な責任をひしひしと感じる瞬間でもありました。
私がおじけづいたら、家族を危険な目にさらす事でしょう。私はもう一度、「絶対就職して、海外で生活してやる!」と気合を入れました。
海外の生活
3年間、アメリカに住み、学び、働き、さまざまな体験をしました。短い間でしたが、3年が10年に感じました。
大都会のNYに住んだかと思えば、ローカルのメンフィスにも住みました。
家族3人ででっかいトラックに荷物を載せ、さらに自分の車を牽引して、6つの州をまたいでアメリカ横断引越しもしました。
ハリケーンで町中停電になった事もあります。あまりのストレスで胃痙攣になったときもありました。かと思うと、アメリカの最南端フロリダの島まで車で行き、7マイルブリッジという青い空と透き通る海の上をひたすら走ったのは、今でも脳裏にパノラマがよみがえります。
最終的には、NYのマンハッタンの中心に位置する、グランドセントラルステーションとクライスラービルに囲まれた13階のオフィスで、ニューヨーカーと共に日本では味わう事の出来ないアメリカのビジネスの実態を経験してきました。
休日には、セントラルパークに遊びに行ったり、ちょっと遠出してアウトレットモールやワイナリーにも行ったりしました。2時間も車で走ればとても素敵な海辺のリゾートを満喫できるのがアメリカです。
街では突然STINGのライブが行われたり、トム・クルーズがほろ酔いで帰宅してきた所にぱったり遭遇したりするのは、まさにマンハッタンならではの楽しい出来事でした。
語り尽くせない程の「妻と息子の貴重な思い出」をたくさん創ることが出来た事は、今でも最高だったかなとつくづく思い出します。家族みんながいろんな面で広がりを見せ、人間的にもより柔軟性が養われた気がします。
また、何と言っても、英語が話せるようになった事は、これからの私の人生、仕事にとても大きな影響を与えて行く事に間違いはないです。日本にいた時は、外国人からの電話に「Hello」とも言えない位でした。
今では、堂々と電話で話し、メールのやり取りで仕事を進めていけます。また、インターネットを利用する事によって、世界中から情報を集める事が出来ます。
終身雇用の時代が終わり、下克上の新時代を迎えている今、海外での仕事経験、英語力といったものは、とても力強い評価対象になっています。